2001-02-27 第151回国会 衆議院 厚生労働委員会 第3号
それから、先ほど大臣の御答弁にもございましたが、三月中旬中旬と、がちっと先生がたがをはめようとなさいましたが、実際、一生懸命取り組んでみまして、強制力がありません。数十人の方ですから、いろいろ話を合わせていくのに、人間というのは私を含めてそうなんでしょうが、記憶がなかなか定かでないようであります。しかし、報告をするときには、その人の人格識見がすべてそのことで公開になってしまいます。
それから、先ほど大臣の御答弁にもございましたが、三月中旬中旬と、がちっと先生がたがをはめようとなさいましたが、実際、一生懸命取り組んでみまして、強制力がありません。数十人の方ですから、いろいろ話を合わせていくのに、人間というのは私を含めてそうなんでしょうが、記憶がなかなか定かでないようであります。しかし、報告をするときには、その人の人格識見がすべてそのことで公開になってしまいます。
高いお金を出して車椅子を買っても、はたしてのれるようになれるか自信はなかったが、婦長さんが、 「あなたに合う車椅子を先生がたが探していてくださっていますから楽しみにしていなさいよ」 と言ってくれた。私は体の血の量が倍ぐらいふえたのではないかと思えるほど、うれしさで体がほてるような感じがした。 そして、どこからか力がわいてくるような気がした。 ちょっと略をいたします。
その一端は先生がたただいま御指摘なさいましたような点であるわけでございますが、今日の経済情勢からいいまして、社会福祉的な事業を固有の財源だけで、公益的な部門の収入だけでまかなうということはほとんど不可能でございます。現に四十七年度の鉄道弘済会の決算報告によりましても、収益的な事業部門から約十五億円ほどの繰り入れを公益的な部門にいたしておるような状況でございます。
一方官公立病院のほうへ、診療所へお勤めのほうの先生がたに対しましては、恩給というものを見ていない。そうしますというと、医師と申しますものは、この生活と申しますのは、その日その日の、その日暮しをしていい、それだけのものに対して診療報酬が支払われればいい、技術料が支払われればいいというお考えでありますか。これは医務局長として重大な問題だと思う。
それで私の第二問は、日本の先生がたが極左団体とその性格は変らないということはどこからそういうあなたは結論を出されたのか。
それを先ず申上げて伺うのですが、そのときに文部大臣が日本の教育界なり或いは日本の六十万の教職員を如何なる眼を以て眺めておるかという、あなたのこれに対する認識の如何によつては、この日本の教育界並びに教育に及ぼす影響というものは極めて大きいと思うのでありますが、今の日本の教育界並びに日本の先生がたというものを文教の府の最高責任者であられる文部大臣としてはどういうふうに見ておられますか、先ずそれを伺つてから
それでも先生がたとしては、あとほど何らかの機会に申上げますが、一応の結論を出されておる、そういう状況下にあつたのに、あたかも教師に責任があるかのごとく結論として資料が出ているわけですが、この資料の提出者はお見えになつているかどうか。責任のはつきりしない資料は委員長としては配つて頂きたくない。
御承知のように今の講習を受けている先生がたというのは零細な給与の中から、かなり多額のお金を割いて積極的に進んで講習会場に見えて、又群馬とか茨城とか遠隔の地からもわざわざ東京にこの講習を受けに見えている。これらのかたは宿泊賃や何かを入れたらどんなに少く見積つても六、七千円のポケット・マネーがそのために出されていると思う。
ただこれはこの次官通達の中にもありますように、只今松原委員のお話の中にございましたように、一部全く先生がたが政治的な言動を封殺されてしまつた、こういう考え方が若しありとするならば、これは誠に間違つたことでございます。又半面これは私ども地方に参りましてまま耳にしたことでございます。
ただ事柄は極めて重大であり大切な事柄でありますから、そういう見地において一般の父兄がたなり先生がたなり或いは一般的な理解と共にこれを拡充をして行きたい。今回の法律案もその趣旨において私としては提案した次第であります。そういう方向に今後とも努力したい、こう思つております。
○公述人(長野國助君) どうも大変かゆいところに手が届かんで恐縮ですが、私は警察行政については深い学識もなければ勿論体験もないのでありまして、諸先生がたが私に何かむずかしいことをお聞き下さつてもその資格がない。但し今の警察というものは政治の争いから外に置いて中立を保たなければならないのだということはもう一つの常識になつておるのであります。
それから同時に、こういう僻地におられる先生がたが一般の研修を受けるというような点において随分不便であろうと思いますので、通信教育を充実するとか、或いは研究協議会、講習会に出る旅費を十分支給するとかいうような点も教育向上という面におきましては必要だろうと思います。いま一つは児童、生徒の通学の困難除去という問題だろうと思います。
これはまあ人情で、或る程度やむを得ないことであると思いますが、勿論これは極く理想的な希望を言えば、先生がた自身が挺身僻地に行つて日本の義務教育の上における欠陥となつておる僻地教育というものを、これは今のところは施設とかそういう点に、これは予算とか何とかいう関係から免ればそうなりますが、何といつても教育はその教育内容自体の問題でありますから、そういう先生がたが身を挺して進んで僻地にでも行かれるという気持
これは私も現実に当つてみてよくわかつたのでありますが、そういう整理の殆んど困難なところ、例えば学校の先生がたというものは、これは相当大幅な整理を考えるといたしますならば、例えば大学ならば講座の内容を変えるとか、全般的に学校の先生がたは学制について検討するのでなければ、恐らくこれは整理らしい整理はできないことと思います。
このたびの行政整理の全般を見まするならば、明らかに行政機構改革と並行いたしまして、そうして合理的なる整理を行うというのが政府の方針であつたように聞いておりまするが、最近におけるところの状況は諸先生がた御案内の通りであります。行政機構改革は遂にさたやみになりまして、ただ行政整理のみが行われる、こういう状態にあるわけであります。
ただもつと採用したいという数字が思うように採用ができないということはあるかも知れないけれども、それがために従来の先生がたが首を切られるという場合は、これは実際整理ということが或いは退職をさせられるということがあるでしよう。あるでしようけれども、これはそれぞれの事情から来るものであつてこの予算措置から来たものではない。これは私は明瞭である。
その場合に教育を守り、特に教育基本法の第十条において教育が立派に行われる保証を、諸条件を整備することは、文部省のこれは非常に大きな責任だと私は思いますので、そういう見地からこの件についてこういうことがあるから、そう心配は要らないのだということがはつきり文部大臣に言つてもらわないと、これは私が心配するだけならばよろしろのですが、地方におけるこの数十万の先生がたが、やはり不安になつて教育の力が鈍るというようなことになつては
○国務大臣(大達茂雄君) 先ほど私は第二番目の御質問と関連して只今の御質問であつたのでありますが、つまり多数の先生はそう自分の職務を曲げて、ほしいままな教育をするという気持は持つていない、であるからして、それらの先生がたに対してこういう強い政治行為の制限をするということは誠に……、まあそれらの先生がたに非常に窮屈な思いをさせる、偏向教育をしようとするような先生、或いは一党一派に偏つた教育をしようとする
組織又は活動を利用してやる、具体的にはなんでしよう、教職員組合ですね、その場合にだけいけないのだ、それ以外の場合はそういうものを通じないで直接先生がたに対して教唆、扇動をやるのはいいのだ、こういうふうになるんですが、この点は非常に不平等があると思いますが、私これは憲法上も許されない差別扱いだと思いますが、どうお考えでございますか。
併しながら五十万の先生がたが、俺は学説を主張しているからいいじやないかと言つても、はつきりと人事院規則が適用されるということになりますれば、そう簡単には私は行かないのではないか、非常にこのことを憂うるわけでございます。
文部委員各位にお願いをいたしますが、公述人の先生がたに対する御質疑は公述人各位の御意見の開陳が終りましてからお願い申上げることとし、討論に亘るようなことは差控えて頂きたいと思います。 それでは今から御意見を伺います。関口先生から先にお願いいたします。
○公述人(御手洗辰雄君) 只今のお話の外部からの働きかけに対する罰であるというお話でありますが、それは思うに破防法とか、或いは刑法とかいうような他の法律を以て律し得るのではないかと考えられるのでありまして、私は甚だ疎漏で相済まんかつた次第でありますが、やはりこれは働きかけられる中には先生がおられる、又先生の組織を以てこれをやる、こういうふうに解釈しておつたものでありますから、さような先生がたに対してその
真実を教えるというようなことを最近小学校の先生がたが言いますが、真実と言いますが、これはクソ・リアリズムと言いまして、日教組の一部小学校の教員や、中学校の教員の作文の指導にクソ・リアリズムというものがある。
だからそういうふうな考え方に立つて見れば、やはりこのような具体的な個々の教育事例というものを、教育を毎日やつている先生がたから言えば非常な不安が多くある、こういう法律案に対して。どつちからかその中立性を本当に立派に守つて行くようにしてもらわにや私は一方的な中立法案だと言はざるを得ないと思うのでございまして、いいですか、つまり権力を全然現場の先生がたは持つていない。
そういう問題を先生がたが常識で判断せよと言われても、なかなか常識で1判断するということも至極むずかしいと思うわけです、だからこういう教育は偏向であるか、偏向でないのかという点について、或る程度のやはり基準というものを示さなければいかん。